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zoom RSS 新房昭之総監督『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の感想

<<   作成日時 : 2017/09/10 18:00   >>

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●新房昭之監督のアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を見たのが、2017年8月18日。すでに1か月弱たった。私は、期待に違わぬ傑作だと思うが、世間の評判は、賛否評論、いや寧ろネガティブな意見の方が多いかも知れない。

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●元々、この作品のオリジナルは、1993年にフジテレビで放送された岩井俊二監督の伝説的なテレビドラマ(1995年には映画公開)。今回の作品に対する批判的な意見には、このオリジナル作品との対比で語られるものが多い。残念ながら、私はオリジナルの実写作品を見ていないので、これらの意見にはコメントのしようがない。

●さらに言えば、アニメ作品は、実写作品とは表現手段・方法が全く異なるものであり、オリジナル作品の有無に関わらず、あくまで独立した作品として評価すべきものではないか。それは、『風と共に去りぬ』の小説と映画作品を比較したり、『椿姫』のオペラとバレエを比較して、その優劣を論じるのが無意味であるのと基本的に同じだ。

●一方、今回の作品に好意的な意見を示しているなかにも、若干の違和感を感じるものが無くはない。それは、この作品が示す世界を、「現実」及び「「心象世界」あるいは「虚構世界」と捉えている場合である。

●結論を端的に言えば、私は、この作品が描こうとしているのは、「世界の分岐」であると思う。したがって、「もしも玉」を投げることによって、時間が巻き直され変容した世界はあくまで、すべて「現実」であって、「心象世界」でも「虚構でもない」。つまり、水泳で、祐介が勝った世界も、典通が勝った世界も、どちらも「現実」ではないかということだ。

●量子力学の「多世界解釈」にあえて言及するまでもなく、偶然を含めて、何かの選択を行い、AとBとの異なる結果が生じた瞬間に、世界はAとBの二つに分岐する。そして、これが連続することにより、世界は無限に分岐していく。この説は、荒唐無稽とはいえ、常に「あの時こうしておけば・・・」と後悔しがちな人間にとって、あまりに魅力的であり、多くのSF小説・映画に影響を与えている。

●私は、このアニメ先品は、選択の「やり直し」によって、普段はいったん選択をしてしまった限り決して知ることができない「自分が属さない分岐した世界(そこには別の自分が確かに存在する)」を思い浮かべることが可能となる、という、人間の究極の願いを描くファンタジーであると思う。そして、それは、新房昭之監督の卓越したスキルと才能によって、美しい映像を通じ(終盤の愛らしい表現は、不気味さすら漂う)、見事な作品として結晶化したのだ。

●もちろん、ラストのシーンは少々気になる。朝の教室で、なずなは呼ばれない(当然だ)。典通は呼ばれてもいない。彼はいったいどこにいるのか? この朝の教室がどの「現実」かによって、解釈は異なろう。いろいろと場合分けをして、考えてみるのも楽しそうだ。

(備考)

以前に、新房昭之監督の『魔法少女 まどか☆マギカ』について記事を書いた。
よろしければ、是非ご一読いただきたい。→こちら

以上


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新房昭之総監督『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』の感想(その2)
●2017年9月24日(日)、新房昭之総監督のアニメ映画『打ち上げ花火、下から見るか? 横から見るか?』を観た。今日で2回目となる。世間の悪評に関わらず、私はこの作品は「傑作」だと思うが、1回目に見たときに、何か見逃していたものがなかったか、という思いも強く、この気持ちは家内も全く同じだったようなので、また夫婦で見に行ったという次第。 ...続きを見る
月羊記
2017/09/24 20:42

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