シュツットガルト・バレエ団 2018年日本公演「オネーギン」を観る

●2018年11月2日(金)、東京文化会館(上野)で、シュツットガルト・バレエ団の2018年日本公演「オネーギン」を観た。この作品の世界初演(1965年、改訂版1967年)は、まさにシュツットガルト・バレエ団によるもの。以来、同バレエの代表的な演目として絶大な人気を誇る。あまりに感動すると言葉を失ってしまうと言うが、本公演はまさにそれに該当しそう。文章が普段にも増して稚拙になりそうだがどうかご容赦願いたい。それだけ素晴らしかったのだ。身体の動きだけで、ここまで心の表情を深く表現できるとは。今日は私のバレエ鑑賞歴において記念すべき日となった。

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●「オネーギン」の振付・音楽等は以下の通り。なお、音楽はオペラの「エフゲニー・オネーギン」からは一曲も使われていない。

◇振付:ジョン・クランコ
◇音楽:ピョートル・I・チャイコフスキー(ピアノ曲集「四季」等から)
◇編曲:クルト=ハインツ・シュトルツェ
◇装置・衣装:ユルゲン・ローゼ

●続いて主な配役を確認しておこう。今日のメンバーは現時点で最も正統的な布陣と言えよう。

◇オネーギン:フリーデマン・フォーゲル
◇レンスキー:デヴィッド・ムーア
◇ラーリナ夫人:メリンダ・ウィサム
◇タチヤーナ:アリシア・アマトリアン
◇オリガ:エリサ・バデネス
◇乳母:ソニア・サンティアゴ
◇グレーミン公爵:ロマン・ノヴィツキー

◇指揮:ジェームズ・タグル
◇演奏:東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団

●それでは、ストーリーの流れと舞台や演技の様子を各幕ごとに見ていくことにしたい。

【第1幕】

◇19世紀前半のロシア。地方の地主であるラーリン家には、タチヤーナとオリガの姉妹がいる。今日はタチヤーナの誕生日。オリガの婚約者レンスキーと彼のの友人オネーギンも遊びに来た。タチヤーナはたちまち都会的なオネーギンに夢中になってしまい、募る思いを綴った手紙を乳母に託してオネーギンに届けさせる。

◇第1場(ラーリン家の庭)はとても楽しい。有名な「鏡の場面」(鏡を覗くと恋人が現れる!)や村の若い男女による賑やかな群舞など。男女が手を取り合って跳びながら舞台を斜めに駆け抜けるのもよく目にするシーンだ。舞台装置はロシアの田園地帯の屋敷と庭を描いたもので、文字通り絵に描いたような美しさ。

◇第2場(タチヤーナの寝室)はこの作品の最大の見せ場の一つ。タチヤーナの夢の中にオネーギンが現れ、2人で踊るパ・ド・ドゥ。オネーギンを心から信じて身を預けるタチヤーナ、そして彼女をしっかりと受け止めるオネーギン。タチヤーナはあたかも宙を飛んでいるかのよう。垂直に抱え上げるリフトにも驚嘆する。まさに息をのむ美しさ、圧巻のテクニックとはこのことを言うのだろう。タチヤーナの白い衣装とオネーギンの黒い衣装の対比も印象的だ。

【第2幕】

◇賑やかに行われるタチヤーナの誕生パーティ。しかし、オネーギンは一途なタチヤーナの手紙に苛立ち、ついには彼女の目の前で手紙を破り捨ててしまう。さらにはオリガにちょっかいをかけ、怒ったレンスキーはオネーギンに決闘を申し込む。タチヤーナとオリガの必死の引き留めも空しく決闘が行われ、レンスキーはオネーギンが放った弾丸を受け絶命する。

◇第1場(タチヤーナの誕生パーティ)は、豪華で美しい舞台の上で、賑やかさの中に緊張感や不安感が不協和音のように顔を出す。多くの招待客が楽しく集い踊る中で、オネーギン一人が退屈そうにカード遊びをしている。彼のニヒルさが際立つシーンだ。オネーギンに手紙を破られた後のタチヤーナの傷心ぶりも痛々しい。オネーギンは何故執拗にオリガに手を出したのだろう。いろいろと考え方が分かれそうだ。単なる悪ふざけとも思えない。レンスキーが手袋を投げ決闘を申込み、オネーギンがこれを拾って承諾する仕草もリアルだ。

◇第2場(決闘の場)は一転して寒々とした屋外に移る。レンスキーの憂いを湛えたヴァリエーション、そしてタチヤーナ、オリガとともに3人で踊るパ・ド・トロワには悲壮感が漂う。

【第3幕】

◇良心の呵責に耐えかね外国を放浪していたオネーギン。数年を経てようやくサンクトペテルブルグに帰ってきた。グレーミン侯爵邸での舞踏会に参加したオネーギンは、美しく成長し侯爵夫人となったタチヤーナと再会し驚く。タチヤーナへの愛に気付いたオネーギンは、彼女への思いを打ち明けるが時すでに遅く、彼女の心は激しく揺れながらもオネーギンの愛を拒絶する。

◇第1場(グレーミン侯爵邸)は絢爛豪華な場面。ここでの見せ所は、タチヤーナが鮮やかな赤いドレスを着てグレーミン侯爵と踊る「幸せ」なパ・ド・ドゥ。その優雅さに時が永遠に続くような感覚に。これを呆然と見つめるオネーギンの心境はいかにといった感じ。

◇第2場(タチヤーナの私室)は、まさに本作品最大のクライマックス。ここで、タチヤーナ(この時は茶系の上品なドレス)とオネーギンが別離のパ・ド・ドゥを踊るからだ・プライドを捨て跪き懇願するオネーギン、心は千々に乱れ悩み葛藤するタチヤーナ。2人は寄り添うかと思えば離れたりを繰り返すが、ついに意を決したタチヤーナが戸口を指さすと、諦めたオネーギンは走り去っていく。ところがだ、それで演技は終わらない。タチヤーナは、立ち去るオネーギンを追って戸口まで走り寄り、見送った後、最後は部屋の中央に戻って切ない表情で天を仰ぐ。心理描写のきめ細かさ、表現力の豊かさには、ただただ驚嘆するばかりだ。

●音楽についても触れておこう。既に述べたように、クルト=ハインツ・シュトルツェは、チャイコフスキーのオペラの曲は全く使用せず、むしろ無名とも言える曲を選び出し、いかにもチャイコフスキーが作曲したかのような管弦楽曲に編曲した。これらの曲は、ストーリー展開、バレエの各シーンに見事に合っており、見事というほかない。

●さて本公演が感動的であった理由は大きく二つある。一つはクランコの振付。ドラマ性を重視し、自然な動きの連続で物語を紡いでいく彼の手法は極めて説得力がある。二つ目はダンサーたちの素晴らしさ。アマトリアンもフォーゲルもテクニック、表現力とも文句の付けようがない。ムーアやバデネスなど、その他の出演者も申し分なかった。

●本公演は私のバレエ観を一変させるものであった。バレエとは、決してテクニック自慢の場ではなく(その要素も否定はしないが)、まずは人間ドラマであるということを気付かせてくれたからだ。やはりバレエの奥は深い。

以上

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