伊藤たかみ著『八月の路上に捨てる』を読み直す

●伊藤たかみ氏の『八月の路上に捨てる』(文藝春秋)を再読した。この小説は、2006年に第135回芥川賞を受賞したもの。心に沁みる小説とは、こういう小説のことをいうのだろう。当時、初めて伊藤さんの小説を読み、以来、私が最も好きな作家の一人となった。
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●佐藤と水城は、二人一組で、清涼飲料水の自動販売機の商品を補充するルート配送の仕事をしている。商品を満載した2トントラックで、担当区域である新宿近辺をくまなく回る。自販機ごとに、商品を運んで充填したり、料金をドンゴロスに詰めたり、空き缶やゴミを回収したりと、大変な肉体労働だ。今日は、8月31日。アルバイトの佐藤は、明日で30歳を迎える映画脚本家志望の青年。結婚生活が上手くいかず、明日、離婚届を出す予定だ。一方、正社員の水城は、佐藤より少し年上の女性。離婚暦あるシングルマザーで、明日から千葉の営業所に移り事務の仕事に替わることに決まっている。

●この小説は、佐藤と水城が組む最後の一日の仕事ぶりを、淡々且つ克明に描いたものだ。そして、仕事の最中に、二人で交わす、身の上話をきっかけとして、佐藤の回想という形で、大学で知り合った千恵子との結婚生活の様子、破綻に至った経緯などが極めてリアルに語られる。交互に現れる、現在進行形の仕事の描写と、4年間の回想の内容は、見事な対照となって、読む者を小説の世界に自然に引き込んでいく。

●仕事の描写は、個々の作業内容、及びそれを行う上でのちょっとした「こつ」に至るまで、異様とさえ思えるほど執拗で具体的だ。しかし、不思議ことに、具体的だからといって、無味乾燥でも実務的になるのでもなく、むしろ、二人の行動・心情への共感がより増し、全体的な印象としては透明度を高めていく。確かに、たとえ労働という行為自体が、不幸にも生活のためのお金を稼ぐ手段に過ぎない場合であっても、その行為を観察すること通じて、その人の内面にまで到達することも可能かも知れないな、と感じさせる。

●千恵子との結婚生活の回想には、圧倒的なインパクトがある。千恵子は、所謂「心を病んでしまった人」なのだが、佐藤の映画関係の友人たちが自宅で飲んだ翌朝の場面、千恵子がアナウンサーになるための教材を買い込いんできた場面、そして、離婚を決意した後に二人の思い出の場所を巡ってお互いが抱えていた違和感の棚卸しをする場面など、そこでの会話や行動は鮮やかに表現され、妙な説得力及び特異な現実感をもって、読者に迫ってくる。

●そのほか、文中には、とくに終盤に挿入される情景、たとえば、初老の男女が楽しげに「かたかげ踏み」をしながら歩くシーンなど、はっとする箇所も多い。人々が生活する中でふと見せる美しい場面を、伊藤氏は、そっと切り取り、繊細な表現で示してくれているのだろう。

●この小説は、確かに芥川賞受賞作であるにも関わらず、ネット上はもとより、賞の選者を含め、それほど評判は良くはない。「病気の話にはもううんざり」、「何を伝えたいかわからない」、「芥川賞としては物足りない」などなど。この小説に多くの共感を覚える私にとっては、意外であり、とても残念なことだ。

●この小説は、フリーター・離婚・精神疾患(うつ病?)という、現代の抱える問題を扱ったもの、といえなくはない。しかし、表面的にそうとだけ捉えてしまえば、そこには、文章の上手さしか残らない。この小説の最大の魅力は、「多くの普通の善良な人々が、真面目に生活している。しかし、それでも幸福になれないこともある。」ということを、優しい視点で、我々に教えてくれているのだ。そんなことは分かりきっているって? 分かりきっていてもいいではないか。ほかに伝えたいことはないのかって? もちろんある。大切なものを路上に捨て去ることで再生へのかすかな希望が示されている。それだけで十分ではないか。 

以上

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