ゴッホ展(新国立美術館)に行く

●今日は、新国立美術館へ「ゴッホ展」を観に行った。画集や映像で絵を観るのも悪くはないが、実物に接するのは、新たな発見もあって、その何倍も楽しい。色彩や筆遣いが命ともいえるゴッホにおいては、なおさらだ。
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●この展覧会は、正式には「没後120年 ゴッホ展 こうして私はゴッホになった」という長いタイトルが付けられている。私たちがゴッホらしいと感じる独特な絵画技法を身に付けるまでに、彼自身がどのような軌跡を辿ったのか。ここに焦点を当てた企画なのだろう。会場は、時系列的に、6つのコーナーに分けられ、観客は、ゴッホの絵の変貌をつぶさに体験していくことになる。私のように、ゴッホに関する知識が乏しい者にとって、彼の全体像を捉えるうえで、又とない機会だ。

●ゴッホは、正式な絵画教育を受けたことがない。正に独学の人だという。まずは、自ら師と定めた先輩画家の作品の丹念な模写から始め、絵画の基本中の基本をデッサンと信じ、ひたすら素描の訓練に明け暮れる(素描も多数展示)。そうした過程を経て、さらに色彩理論も勉強し、ようやく油絵の世界に入っていくのである。当初の油絵の対象も、静物だったり、農夫や織工だったりと地味であり、色彩もモノトーンに近い。また、遠近法を踏まえた正確な技法を体得するため、木枠に網の目状のものを張り付けた道具も使ったりもしている(実物展示あり)。何という几帳面さ。

●ゴッホとは、本当は、物事を論理的に考え、きちんと段取りを踏んで行動する人物だったのだ。とても意外である。そうか、私のゴッホのイメージは、1955年の映画「炎の人ゴッホ」(監督:ビンセント・ミネリ、出演:カーク・ダグラス、アンソニー・クインほか)に大きく影響されていたのかも知れない。この映画では、たしか、「情熱的で狂気をはらむ孤高の天才画家」としてゴッホを描いていたかと思うが、それは、彼の一面でしかないのだ。

●南仏の町アルルでのゴッホの作品は、やはり傑作ぞろい、「ザ・ゴッホ」ともいうべき作品群である。「アルルの寝室」「ゴーギャンの椅子」「種まく人」「ある男の肖像」など、有名な絵が綺羅星のごとく並ぶ。会場のこのコーナーには、一時期ゴーギャンと暮らした「黄色い家」の「ゴッホの部屋」が、実物大でリアルに再現されており、正に、本展覧会のクライマックスを迎える。
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●最後のコーナーに並ぶ絵には、少し驚く。絵から受ける印象も大きく変わる。そこにはアルル時代の輝くような色彩はなく、明らかに別の次元に移ったかのような感じさえ受ける。この後すぐに、ゴッホはピストル自殺を遂げることになる。

●ゴッホが画家としてスタートしたのが27歳の時、そして自ら命を断ったのが37歳の時。この間わずか10年。驚くべき短さだ。この短い期間に、ゴッホという天才、そして同時に類まれな努力家は、世間から正当な評価を受けぬまま、疾風のように駆け抜けてしまったのだ。

●少し前の新聞(朝日か日経)に、面白い記事があった。日本では、ここ半年間で1回以上美術館に行った人の割合が30%もあり、好きな画家ではゴッホがトップだという。今日も、休日ということもあって、大勢つめかけていた。年齢層も、若者から高齢者まで幅広い。老夫婦が一枚の絵について静かに感想を言い合っていたり、母親が高校生ぐらいの娘に優しく解説していたり、あちこちで、心温まる情景が見られた。今日は、それぞれにとって、とても良い日になったと思う。

以上

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